見るからに生意気そうで、突っ張っています。正直な話、いまの私・なら絶対気が合わないタイプ。その頃の私は、どζか自信過剰になっていました。念顕だったキャスターの仕事ができるようになって、「乙れで一人前の人聞になった」と錯覚していたフシがあるのです。周囲もキャスターという目で見てくれるし、仕一事自体、画面に出る仕事だから、自分が偉くなったような気がしていたのです。本当に大切なもの、つまり、他人の痛みをわかるととやふところの深さ、あるいは謙虚さみたいなものをどとかに置き忘れていたと思います。出会い系 アプリ で仕事の上で自分の意見がかなり通ったり、認められたりするなかで、高慢さが頭をもたげてきていたという面は否定できません。それに気づかされたのは結婚生活を送ってみてからです。ささやなととでいえば、それまで、「お料理、なんかいつでもできるわ」なんて思っていたのに、野菜妙めもろくにできないのです。私が作る野菜妙めときたら、人参もピーマンも、キャベツも、全部一度に入れてしまうというありさま。野菜によって妙まり具合が違うから、妙まりにくいものから先に入れる・なんて初歩的な知恵も、出てとなかったのです。結婚のときの書類や、その後のさまざまな区役所での手続きにも、住所がどこで、本籍がどとかというととも確認しないとわからないという状態。炊事だめ、書類も書けない。精一杯突っ張っている私の実像は、生活者としての基本的・なことがなにもわかっていない、空虚なものだったのです。「・なんだ私、自立してるとか、仕事は一人前とかいってたけど、生活者として考えたら、ぜんぜん自立・なんかできていないじゃないの。自分の食べるものさえ満足に作れ・ないで、政府自民党がどうのなんて、よくいってたわよね」頭をガツンとやられたような気持ちでした。結婚生活ゼ新しい自分に出会う一つ屋根の下に、他人同士が住むというととも、それまでの人生観を一変させるものでした。私には新発見の連続。会社や家族の聞ではある程度通っていたととが、夫にはまったく通らないのです。私がこうして欲しいと思っても、ぜんぜんそうしてくれない。考え方も発想も違うのですから当然なのだけれど、そんなととも当時の私には驚きだったのです。「ゆずらなきゃいけないζとつであるんだ。我慢って結構大切なんだ」私は改めてそう思ったものでした。仕事を始めた頃には、譲歩が必要だというととも我慢が大切だというととも、わかっていたはずでした。

スポーツ選手などもよく、スランプに陥ったりすると過去の栄光ばかりに気持ちが向かうといいます。でも、自分の人生はその時点で止まるわけでは・なく、いまも、これからも続いていくのです。過去にいたずらにとだわってしまって、その栄光さえも錆びつかせてしまう例だって少なくない。過去の栄光を輝かせる方法はただ一つ。その後の人生を、その当時より、もっとイキイキと生きる以外にありません。ふつうの人生だって同じ。もうけっして戻らない過去を握り返っても、いまの人生が輝いてくるわけでは・ないし、いい顔になるわけでもありません。アルフレッド・ヒッチコックは、最高の作品はなにかと尋ねられると必ずこう答えたといいます。「」そう、この心意気。全身が映る鏡をもっていますか?立居撮る舞いて美しさが・..女性には誰かに注目されたいという気持ちがあります。それはとっても大切なととだと思うのだけれど、それならそれでフォローしてほしい。つまり、見られている自分を意識して振る舞うととも必要だというとと。誰かの視線をいつも感じていたら、立居振る舞いについての認識も違ってくるはずです。たとえば、すごく疲れていても、背を丸め、トポトポ歩く・なんてζとは・なくなるだろうし、いくら眠たくても電車のなかで、足を広げてコックコックリなんてとともしなくなると思う。日本の女性は、一般的にそういう意識に欠けている気がします。アメカ人の友達がいっていたととですが、日本の女性たちが鏡で顔しか見ないのが不思議で仕方がないというのです。p鏡を見て、それζそメイクは丹念すぎるほど直すけれど、全体には驚くほど無関心念のが理解できないと。そういわれてみると、確かにそう。全身が映る姿見をもっている女性は、身仕度の最後に全身を必ず映すという人は、どのくらいいるでしょう。着物を着たときくらいしか全身に気を使うことがないというのが、女性の鏡とのお付き合い事情だという気がしませんか。女は顔で勝負。そうかたくなに信じζんでいる人は別にして、女性の美しさって、やっぱり姿の美しさだと思うのです。顔がいくら美しくても、ファッションがだらしなかったり、立居振る舞いが醜かったりしたら、美しい女性とはいえないのではないかしら。外国の女性は、お化粧はそれほどしていなくても全体の姿にはとても気を使っています。おなかのあたりはすっきりしているか、背筋は伸びているか、ヒザを曲げて歩いていないか、脚を美しく組んでいるか、という具合なのです。

そんな人問、けっζういますけれど、私には下劣に見えてしまいます。「楽天性」とれをもてる人は、何よりも誰よりも幸せだと思います。何か窮地に立たされたとき、「何とかなるわ」「えい、ままよ」と腹をくくって楽観的にのぞめる人、こういう人ζそ人生を大胆に送れるプラス指向の人です。楽天性は、どとかで潔さにもつながります。楽天的な人は、自分という人聞に対しての信頼、自信をつくり得た人だともいえます。「たとえ何があっても、私なら何とかくぐり抜けられる。ダメだったときは潔く批判をうけて、責任をとればいいのよ」そんな考え方が出来る女性は少・ないのですが、思えば男の人にだってそうめったにはいませんね。「潔さ」「プライド」「楽天性」||乙の三つを忘れないで生きていれば、かなりグいい女れる。私はそう信じています。恋でも、結婚でも、仕事でも、そして、あらゆる人間関係においても、との三つはグいい顔をつくるファンデーションのようなものだと思います。ファンデーションを整えた上に、さて今度はどんなメイクをほどζしていきましょうか。とのあとの章で考えてみましょう。に・な一オシャレな入っていわれたかった一ら、それなりの努力が必莞『美女がん陪ら帯くちゃ、オむやレに帯れ$hw/一は一夜にしてならず」と誰かいっ一てなかったかしら?オシャレだ一って心意気が大切なのです。いる美しくなるおまじない鏡に向かってグきれいって嘩いて「いい顔してるわよ。やっぱりいまの顔がいちばんいい」ときには鏡のなかの自分に向かって、そう瞳きかけてみましょう。m-なんか嫌・な顔してる険が表にでできちゃてる九毎日付き合っていれば自分の顔が嫌いになるζとはあります。そして、そんなときは決まって、いきいきと生きていない自分に不満をもっているとき。さあ、鏡のなかの自分とちょっと対話してみませんか。グきれいグかわいい輝いて元気がいい弾んでる:::。どんどん素敵な言葉を暗きかけましょう。それを毎日、毎日続けていると、本当にそう思えてくるから不思議です。元気と口に出すととで、現状から一歩踏み出す元気が湧いできたり、沈んでいた心にエネルギーが蘇ってくる。そして、気持ちが切り替ったら迷わずに行動する。すると、顔にも変化が表れます。まさに、悪循環ならぬグ良循環というわけ。いまをイキイキと生きる「自分の顔、昔はもっとよかったのに・なあ」ζんな懐古派もいます。気持ちはわからないわけではないけれど、嘆いたところでどうにもなりません。

そして、豊かな人間同士が作り上げる夫婦関係はハッピーだと思うのです。いつまでも夫婦の釣り合いがとれているためには、夫と一緒に妻も成長していかなければなりません。恋人同士の聞は好きなだけ見つめ合っていればいい。でも、夫婦になったら相手がそばにいる気配を感じるだけで、安らげもするし、自分が歩いていくェ、ネルギーにもなる。そういうのっていいナ、と思う今日との頃です。素敵になれる三つのモットー「潔さ」女性をほめるときに「あの人、すごく潔いわね」とはあまり言いません。でもグ潔さって、とてもいい響きだと思いませんか?人生のどんな場面でも潔くありたい、私はいつもとう思っています。恋でも仕事でも、人生にはさまざまな分岐点があります。「仕事も続けたいし、結婚もしたい」「との仕事も悪くないけれど、転職もしてみたい」「こっちの彼もステキだけれど、あの人も案外いいかも知れない」それぞれの分岐点に立ったとき、人聞は自分で選択をしなければなりません。選ぶときは必ず自分の責任と自分のスクで選ぶべきです。そしていったん選択したからには、仮にその道が最良の道でなかったと後でわかったとしても、絶対にグジュグジュとはいいたくないものですね。自分が選んだ道なのですから、全責佳をもって、何とかいい方向に向かうように頑張ればいいのです。とれが潔さというものです。ああでもないとうでもないと愚痴をとぼしているくらいなら、サッサと選択してどれかの道を歩き始めてみる|ういう潔い姿は誰から見ても美しいはずです。「プライド」自分に対するプライドをなくした人は醜いものです。ζれだけはけっしてゆずれない、llζとれだけは妥協できない、とれだけはとだわっていたい||そんな内なるプライドを守って生きている人は、はたから見ていても気持ちのいいものです。自分の品性をおとしめてまで生きるなんてナンセンス。自分のプライドを破ってまで生きている・なんて、悲しいではありませんか。プライド、つまり誇り高さというのは高慢ちきとは違います。見栄っぽりでもありません。自分の価値観をしっかりともち、それに従って気高い志で生きる|そんな前向きの誇りをもっているひとは、むしろ明るく柔軟な考えが出来るのです。これだけはゆずれ念いというものをもっていればーその他のととでは案外許容したり譲歩できたりします。中途半端念生き方をしている人は、かえって他人を批判したり、中傷したり、さげすんだりして、自分の逃げ道を作ろうとしている。

夫婦として歩き始めてから、成長していく方向が同じであれば問題は起こらないと思うのですが、片方がまったく違う方向にいってしまうとか、その場で停滞してしまうとかした場合には、亀裂の芽を抱えとむととになるのではないか。私にはそんなふうに思えます。気がついたら、相手との距離がカバーしきれないほどに広がっていて、釣り合いが崩れてしまっていた。そんなときに、お互いが結婚生活の清算を考えるのではないでしょうか。先ほどの夫婦にしても、彼は彼女に、仕事をもち、母親としても、妻としても立派にやってほしいと期待し、そのためにはどんな協力も惜しま・ない、と考えていたようです。でも、彼女の目は子供と夫だけにしか向かなく・なってしまった。それで彼女に対する尊敬の念が急速に薄れていったというととなのでしょう。見つめ合うより、前を向いて並んて歩きたいサレジオ教会の神父さんがおっしゃっていたことだそうですが、こんな言葉を聞いたことがあります。夫婦というものは、必互いが見つめ、合って生きていくよりも、横に並び、ハ「それぞれが前を向いて自分の世界を生きていくほうがうまくいくというのです。私はとてもいい言葉だと思います。結婚当初は見つめ合っていたいし、見つめ合うことで愛も高まるのでしょうが、一年も見つめ合っていれば、飽きると思うのです。欠点だって見えやすい。アパタはやはりアパタにしか見えなくなってしまう。でも、お互いが前を向いて歩いていって、なにかあったとき横を見れば必ず相手がいる、手を差し伸べてくれるというのなら、いつまでも一緒に歩いていけるよう念気がします。男性は結婚しても社会的存在という部分は変わりません。でも、女性は家庭に入ってしまうと、前ではなく、横、つまり旦那さんと子供のほうばかりを向いてしまうというととがある。すると、見えてくるのは旦那さんと子供のあらばかりというととになりやすいのではないかしら。δちゃん、とうさんみたいになっちゃだめよ」念んでせりふは、そんな状況からごくグ自然に口をついて出るのでは。とんなせりふをぶつけられる旦那さんも悲しいけれど、もっと、悲しくて寂しいのは口に出す本人のほう。だって、自分が自己投入できる世界がどとにもなくて、子供がすべてと語っているよう-なものでしょう。趣味でも、サークル活動でも、スポーツでもなんでもいい。家庭の外に、自分を投入できる世界をもっているととが、母としても妻としても、人間としても豊かに生きることにつながるのではないでしょうか。

仕事が軌道に乗ってくるにしたがって、それらをどとかに置き忘れてしまっていたのです。結婚生活を送ることで、私はもう一度、そのスタートラインに立ち戻されたといえます。そうだ、やっぱりζとで人間の基本に帰ってやりなおさなきゃいけないな。いままで置いてき、ぼりにしてしまったものを、もう一回取り戻さなければ:::。切実にそう思いました。いろいろなものに対して謙虚に接するζとができるようになったのは、それから。忘れたものを取り戻しながら、また前に進んでいくという過程は誰にでもあります。でも、けっして、後戻りではない、と私は思っています。行きつ戻りつしながら生きるのが人問。忘れたものに気づいたら、無理に前に進もうとするより、取りに戻る。人生にも一休みは必要です。.夫婦になってから、もっと輝くイイ関係「社会ゼバリバリ働く女性が好き」という男性結婚している女性にとって仕事と家庭の両立は避けられないテマです。ふつうのケースでは仕事にかける比重が多くなって、家庭のととがおろそかになり、夫婦の関係がギクシヤクし始めるというプロセスをたどるようですが、まったく逆のケスもあります。私の知り合いの男性は、仕事をもって、生き生きしている女性が好きだったのです。結婚相手として選んだのももちろんそんなタイプ。ととろが子供ができて、一時彼女は仕事を辞めるととになったのです。彼とすれば、育児に手がかかる聞は仕方がないにしても、一段落したら彼女は仕事に復帰すると信じて疑わなかったのだと思います。でも、いったん家庭にはいった彼女に気持ちの変化が起こったのです。体力的にもそれほど強い人ではなかったとともあって、再び仕事に出る気がなくなってしまった。彼は家事と育児だけに専念している彼女が、だんだん不満に思えてきました。「社会に出てパリバリやる女性だと思っていたのに、変わってしまった。とん・なにチマチマとした考え方をする女性ではなかったはずなのに」というわけです。結局十年間の結婚生活にピリオドを打つζとになってしまったのだけれど、夫婦というものの難しさを象徴するような話だという気がします。夫婦てともに成長したい夫婦って、結婚した時点ではどんなカップルでも釣り合いがとれていると思います。・お互いを認めあってもいるだろうし、いいパートナーであろうと努力もしている。お互いの世界に対する理解もあるし、価値観だってそれほど違うものではないはずです。